プロフィール

はじめに

私たちは、和歌山に住む夫婦です。
夫は札幌出身、私(妻)は和歌山出身。

京都で出会い一緒に暮らし始めた頃は、夫は障害の自覚もなく、仕事をやっても続かないし、金銭問題、記憶障害、人間関係のトラブル、定期的な失踪(突然の放浪)など様々な問題をかけていました。

自覚がなく、癇癪持ちで、記憶障害や否認も激しい夫を病院に連れていくところからスタートして、今では自分の性質を受け止め、様々な問題をかなり改善し、一緒にWEBデザインやECサイト運営などのWEB事業を営んでいます。

夫が性質を自覚するようになるまで2年。病院と継続して繋がれるようになってからも適切な診断や投薬を行ってくれる病院に出会うまで、さらに4年。
初めての診断を受けてからも何度も病院との繋がりが途切れたり、受診拒否にあったりといった病院の対応不足による精神不調やトラブルも数多く経験しました。

やっと夫の障害はこういうことなのだろう、と私たちなりの判断ができるようになったのは、初受診から6年経過した頃です。
夫の記憶障害がひどいこと、治療意識自体も不安定なこと、自覚できないことも多いことから、医師に正しく状況を説明するのも簡単ではありませんでした。

限られた受診時間の中で、医師に現状を正しく伝えるのは至難の技です。
薬の過剰投与や副作用にもかなり悩まされてきました。

以下に、私が病院の初受診時に担当医に渡すために書き起こした現病歴を記録として残しておきます。by 妻

現病歴(闘病記録)

【2014年7月初受診~和歌山に引っ越し、医療に繋がるまで】

R病院受診(診断医 H先生)
テスト:WaisⅢ
WaisⅢと3回にわたる臨床心理士の問診によって診断を受ける
診断名:ADHD、虚偽性障害、反社会性パーソナリティー障害、境界性パーソナリティー障害

※非常にやっかいで、長年の臨床経験においても稀有な症例であると伝えられる。映画やドラマでみた事を自分の出来事のように思いこむ記憶のすり替え(偽記憶)が起こっていることを指摘される。

また「口が達者」なので、身近で関わっている者にしか本人の本質や問題に気づいてもらえない困難さも抱えているとのこと。
診断は受けたものの、R病院の受診が常時2ヶ月待ちになるほど緊急対応が出来ない状態であること、本人の病識が低いこと、(血縁)家族のサポートがないこと、投薬治療による回復の期待が低いことを理由に継続治療を断られる。

■当時の状況

  • 気分変調が激しく、頻繁に発作のような錯乱状態に陥り、遁走や妻への暴力、妻の携帯やPCなどの破壊行動を繰り返す。
  • 癇癪を起こしたときには必ずお金に執着し、お金を奪ってパチンコやネットカフェで散財する。
  • 遁走し、パチンコで散財後も状態が戻らないときは、かつあげを行っていたようである。電話がしたいなどの理由で、あらたに携帯電話の契約をするなどの行動も行う。
    (※激しい癇癪時には解離していたようである。人格交代時は、著しく倫理観や道徳心が希薄となり自転車窃盗、かつあげ、万引き等の犯罪行為を行っていた。交代人格が出たときには、パチンコやゲームに数日で十数万浪費した。)
  • 病識がほとんどなく本人の否認が激しい時期であり、しょっちゅう癇癪を起こし、発作状態になるたびに「俺はまともでお前がきちがい」だと主張し、“きちがい女にやられる前にやる”といった被害妄想に陥り、暴力や破壊行動が激しかった。交代人格は、一方的に衝動を達成しようとするのみで、会話不能である。)
  • 当時は妻が主導して保健所や福祉関係への相談や治療者探し、病院探しを行う。

洛南病院のほか、京都で3ヶ所の個人医院を受診するが、いずれも受診拒否、通院中止となり、継続的に医療と繋がれない状態だった。そのほか京都少年院の医療ケアを務める医師には、反省ができないことを指摘される

・病院Aでの診断:解離性障害、反社会性パーソナリティー障害、境界性パーソナリティー障害
・病院Bでの診断:ADHD、双極性障害、解離性障害
・病院Cでの診断:双極性障害、睡眠障害

  • 根気よく説得やセルフケアによる認知改善を試み、しだいに病識を自覚するようになる。
  • カウンセラーによるカウンセリングを試みる。しかし、過去を振り返ったり自己を見つめようとしたりすると、睡眠発作や激しい頭痛が生じ、結局カウンセリングも断念した。
  • 適薬適量の調整にいたらない状態での散発的な薬服用により、過眠、勃起不全、うつ状態などの症状に苦しむ。
  • 一度、自宅のドアに紐をくくり妻の目の前で自殺を試みる(今思えば自演も疑われる)。
  • 北海道の家族に情報提供や治療協力を願い出るも音信不通になったり、協力の約束を反故にされたりと協力は得られなかった。
  • 度々の遁走や暴力による警察介入や医療相談、病院探しなど介助活動と問題行動の処理手続きによって、妻の仕事がままならなくなり、生活が困窮する。本人の治療とサポートに専念することを決め、妻の仕事を休止。2人で生活保護受給を開始し、妻の実家があり、サポートを得やすい和歌山へと引っ越す。

※本人は、京都時代の生活や治療に関する記憶の多くを思い出せない。

【和歌山に転居後】

2015年11月 京都から和歌山に引っ越す
2016年1月頃 Oクリニック受診
2回通院するも医師との相性が悪く断念。

【Mクリニック 通院時期:2016年2月頃~2016年9月】

2016年2月頃~ Mメンタルクリニック受診
はじめて本人が「良い先生に出会えた」と感じ、ようやく継続的な通院を開始する。

診断名:ADHD、双極性障害、種々のパーソナリティー障害、パチンコ依存

※R病院からの紹介状と問診による診断であったが、Mクリニックではパーソナリティー障害についての診断はできないといわれる。またパーソナリティー障害やパチンコ依存の治療法はわからないとのこと。
M先生には、はじめに得意分野ではないことを告げられ、2週間に一度の診察で、睡眠障害や気分の調整など対症的な投薬の調整を行いながら経過観察と指導を受けた。

金銭感覚のなさ、記憶の問題から精神遅滞の疑いを指摘される。お金を所持していると、“気が大きく”なり、破壊的人格が出やすいことに気づく。
※医師、本人、妻、発達障害支援センター間の話し合いにより、お金、キャッシュカード、印鑑を妻が管理するようになる。

※Mクリニック通院中に、精神障害者手帳2級を取得
本人自身の障害を受け入れる気持ち、回復への意識が定着化し、先生への信頼感から安定して薬を服用するようになり、精神状態もかなり落ち着いた。しかし、解離は見抜いてもらえず、発作的な破壊人格交代の頻度や問題行動は改善されなかった。
当時一番の問題は、発作で変貌したときの暴力、遁走、パチンコによる散財であったが、一番酷い錯乱状態のときに入院処置が受けられないことから、先生に一時的な保護先の提供や紹介をお願いするも他院紹介やカウンセリング治療に対しては否定的な見解であったため、2人で入院対応していただける病院への転院を考える。

発達障害支援センターへの通所をはじめる。2週間に1度の相談。
※妻の父親が、警察への迎えや境界例が強くなったときのサポートをしてくれていたが、精神疾患の理解がなく(むしろ偏見がある)、2016年には直接本人と接するサポートは得られなくなる。

【依存症回復施設入所:2016年9月(約20日間)】

  • 保健所、発達障害支援センター、生活保護課に相談するも、錯乱時の危険行動を回避するための解決方法や避難場所が見つからず、生活破綻の大きな原因となっている依存症を回復するため、奈良にある「Wグループ」という依存症回復施設に相談。引き受けてくれることになり入所する。
    入所先:S沖縄…Wグループの施設
  • 入所後、すぐに施設が保険証内容の無断書き換えをしていることがわかり、事前説明されていた契約書などの書面も交わさないことから妻が不審に感じ調査したところ、同施設主要開設メンバーから独立した方々からの情報で、反社会組織と繋がっているいわゆる貧困ビジネス施設であることがわかり、退所して和歌山に戻る。
  • 沖縄に越し和歌山の生活保護を抜けたことを機に、妻が仕事を再開する。

【鳶職就労期間:2016年10月半ば~2017年5月末】

  • 依存症回復施設から戻ってきた後、本人自身が単純な依存症者ではないことを自覚する。妻も同意。
  • この頃から妻への信頼感が高くなり、自立心・社会復帰への意識が強くなる。
    (きっかけは、離れても妻が見捨てず支え続けたことが見捨てられ不安の軽減や愛着につながったように思う。)
  • 「病院や施設、どこも自分をわかってくれないし助けてくれないから、自分で乗り越える」という強い意識を本人が持ったため、病院は拒絶し、医療・福祉との繋がりはなくなる。
  • 本人が高い意識で、積極的に社会不適応問題の克服を志すようになり、就職活動をし、製鉄会社構内の鳶職に就職。
    親方に高く評価され、意欲的に働く。始めは仕事を覚えることや人間関係に慣れることで疲弊していたが、約2ヶ月で環境に順応する。
    就職して3ヶ月を過ぎた頃からストレスが蓄積し、自己生活管理が難しくなる。親方の言葉の荒さ、同僚の稚拙で粗暴な人間性(「ガラ」の悪さ)、社会保障や福利厚生のないブラック企業であることがストレス(引っ掛かり事案)となって蓄積していった。
    ストレスを解消するために、睡眠時間を削ってでも深夜までゲームや動画をみるなど時間管理が難しくなり、カラオケに行きたい、外食したいなどの衝動も強くなる。
    ある日突然、仕事に行くと家を出たまま遁走する。大阪まで行きパチンコで散財。(金銭管理していた妻の財布からお金を持ち出し。)遁走後は警察に保護される。そのまま会社に連絡を入れることも出来ず退職。

【Mメンタルクリニック再開 通院時期:2017年6月】

行動障害やこだわり・思い込みと解離の対処が最優先であると話し合い、Mメンタルクリニック受診。薬物治療再開。
生活保護受給(本人のみ)を再開する。

※この頃から本人が理解者のいない環境での就職はしたくないと思うようになり、自宅でフリーランスとして働く妻のWEB制作業務に興味をもつ。調子の良いときにWEBの勉強を始める。

退職の少し前から境界例的思考が強くなる。
精神的に不安定で自暴自棄状態が続き、破壊的人格、知的に問題を抱える人格(子どものような人格)への交代が頻発する。
破壊的人格、子ども人格いずれもひとりで生活する能力はないため、保護課ケースワーカーと相談。住宅扶助によるマンションは危険時の避難番所として確保し、普段は妻と同居することになったが、アダルトチルドレン的思考が強くなっていたため、週のうち半分はダラダラしたりゲームをしたり動画をみたりといった感じで、子どもの育児に近いサポートを要し、破壊的人格へのスイッチングもしやすい状態であった。
破壊的人格へと変貌したときに遁走、パチンコやネットカフェでの散財、暴力、破壊行動などの問題が起こること、スイッチングし始めると自動思考が生じコミュニケーションがとれなくなること、破壊的人格は知能的にも問題があることから、錯乱状態時の受け入れ先や対応方法の確保が必須であることをM先生に訴え、T病院を紹介してもらう。

【知的障害診断 県子ども・女性・障害者相談センター 2018年6月】

知的障害の認定を受けることを話し合い、和歌山県子ども・女性・障害者相談センターでテストを受ける。結果、中度に近い軽度知的障害(B2)の診断を受け、療育手帳を取得する。

※この頃には本人の治療意欲は安定し、回復に向けた話し合いも積極的になっていた。
※障害者相談センターの相談員に、ADHDや知能レベルは成育環境要因も大きく影響することを教わる。

【T病院(主治医:S先生) 通院:2017年7月~2018年1月】

■2017年7月 T病院で初めての入院

はじめ本人が激しく入院に抵抗したが、遁走のうえ、再びパチンコで20万円ほど浪費。所持金なしとなり行き詰ったことから、最後には納得し、T病院に任意入院。
T病院では、喫煙自由、個室でPC・スマホ24時間使用自由、病棟にも病院の玄関にも鍵がなく自由に出入りできる状態であったことから、入院後はすぐに落ち着き、本人にとって加療の必要性を認識する良い機会となる。初回入院は3週間ほどで退院。

診断名:ADHD、双極性障害

  • 退院後は、WEBの勉強を積極的に行う。持続力・集中力に問題を抱えていたが、精神状態は安定した日々を過ごす。
    ※この頃の困りごとは集中力の持続、健忘、思い込み・こだわり時の自閉、うまくいかないことがあったときの退行、依存。
  • 10月初旬、入院によって変則的に生じた生活保護費を現物支給するので取りに来てほしいと生活保護課から連絡が入り、妻が仕事の都合がつかなかったところ、「ひとりで行っても絶対に大丈夫」と本人が自信を持っていたため一任したが、そのまま連絡がつかなくなり、パチンコで使い切る。そのまま解離状態が続き、再入院となる。

■再入院 2017年10月~2018年1月

入院中も病室から妻に1日に数十回通話をかけて暴言を吐くなど状態が落ち着かず、本人が「役所に行く」など嘘をつき外出許可を得て、パチンコ屋に行き帰って来なくなり捜索願を出す事態になる、生活保護費を使い果たし、タクシーに無賃乗車するなど入院中とは思えないトラブルが続発する。
病院に対処を願うも院内の「ホウレンソウ」が機能しておらず、かつ妻が医師とコミュニケーションが全くとれず、不信感をもつ。
しばらく後、入院中に認知療法が催され、著しい意識改善がみられる。(ただし、本人は担当カウンセラーに好意がもてなかった。)
入院中の病院対応不備によるトラブルが多いため、計3回のカウンセリング終了を待ち、何度か外泊練習を重ねた後、退院する(入院期間:約2ヶ月)。

■A型作業所通所 2018年2月~5月頃

本人、妻ともに入院時のスタッフ、主治医、病院の対応にやや不信感をもちつつも、その後もT病院の受診を続ける。
認知行動療法で得た知識(白黒思考の改善およびアンガーマネジメント)が役に立ち、精神も家庭での生活も安定する。
生活リズム形成のためにT病院の保健士に作業所通所を勧められ、相談支援員を紹介される。その後A型作業所での労働を開始する。職場は焼き肉店の厨房担当。
作業所の責任者(焼肉店店長)から高く評価され、通所開始1ヶ月でランチの調理を受け持つ。
意欲的でやりがいを感じ自信をもち始める。自宅でも明るく円満であったが、次第にほかの作業所スタッフの怠慢ぶりにストレスを感じるようになる。
障害を全て克服したかのような過信をし始め、障害に対する注意意識や警戒心がなくなり、次第に本人が「完治した」と思い違いをはじめる。
ある日「こだわり」が始まり、突然作業所に行きたくないと言いだし、無断欠勤を始める。そのまま作業所はフェードアウト。

  • 「WEB作業こそが自分にやりたいこと」だと思うようになり、熱心にWEBの勉強や妻の仕事の手伝い、家事を行う。料理・洗濯・掃除など家事を覚え、そのスキルも高いことがわかる。(ただし人格が安定しなくなると、全くできなくなる。)
  • この頃にはパチンコに対してむしろ嫌悪感をもち、犯罪に繋がる反社会的な思考はなくなり、遁走もしなくなっていた。
    (※当時は確信がもてなかったため、振り返ってみてわかったことである。)
  • しかし本人は障害に対する注意意識低下に加えて、認知行動で得た思考や習慣も忘れており、うまくいかないことがあると生活の一切をできなくなり、結局暴れる事態が発生した。入院はせず、別居する。2018年6月
    (この頃開催されたW杯に熱中したことが功を奏し、すぐに妻宅に戻り、W杯観戦とともに仕事(勉強)も励むようになる。)W杯終了後も当時妻が抱えていた大型案件の作業を意欲的に手伝う。
  • 大型案件終了時(2018年9月)、燃え尽き症候群のような状態に陥り、一気に意欲が低下するとともに精神不安定に陥る。

■3度目の入院 2018年10月頃(2週間程度)

以前より主治医であるS先生の指示で早めに入院することを勧められており、2人で話し合い、破壊的人格の出現はなかったが生活リズムと意欲の回復目的で入院する。この時期、破壊的・刹那的心理状態ではなく、仕事の意識が続かなかったことに本人がショックを受け、無気力状態が続く。
入院中、本人にとっても妻にとっても信頼していた保健師が突然退職したことを知ったほか、以前からの病院への不信感が決定的となる。誠実に対応してくれていた看護師長も退職予定ということを話され、これまでの違和感が病院内不和による病院の機能不全によるものだったこと、患者のみならずスタッフもS先生との業務連携ができないこと、診察時にS先生に直接指定された家族診察の予約日に理由なくドタキャンされたことなど(他多数)が度重なったことで、不安や社会復帰への焦燥感から本人の調子が入院中に悪化し、「退院するしかない」と思い込み、不安定な体調にも関わらず退院する。
(※後にS先生が院長になり、看護師長・看護副師長をはじめスタッフが集団退職したことを知る。)

【W病院(主治医:S先生→I先生) 通院時期:2018年11月~2019年7月】

継続利用していた発達障害支援センターと相談し、転院を決める。1日30錠弱ほどの過剰投与されていたことやパチンコに行くことを勧められるなどT病院でのこれまでの治療方針にも不安を感じ、W病院に、もう一度新たに診断してもらうことにした。

■1度目の入院 2018年11月末~12月中旬(約3週間)

不安定なままT病院を退院したため精神状態が悪く、すぐに破壊的人格が現れ、身の危険が生じたので急遽W病院に入院することになる。
入院中に看護師・PSW・主治医・本人・妻が揃ったミーティングを複数回行い、様々な診断テストを受ける。

テスト:WaisⅢ、P-Fスタディ、TEG、AOJ、ロールシャッハ
診断名:解離性障害、ADHD、ASD、強迫性障害、PTSD

W病院の診断によって、強いPTSDがあること、自閉症の傾向も強いことを指摘される。
入院中に本人が問題解決のためにどうすれば良いか自己回顧を行う。自立訓練、いざというときの入院対応、認知の歪みや解離へのケアの必要性に気づく。
2人で話し合い、訪問看護の導入、カウンセリング治療、薬の調整を依頼し、退院と同時に訪問看護を受ける手配をする。
年末だったこともあり、準備を整え12月中旬に退院。

■訪問看護のサポートによる別居 2018年12月(約3週間)

退院後すぐ、訪問看護スタート。
これまでの経験で得た習慣に反し、看護師から本人にお金を手渡すよう強く申し出される。
訪問看護師が一度に5千円を本人に手渡したため、すぐにパチンコに行き使い切る。(パチンコには嫌悪感を抱き、発作時にもパチンコへ行くことはなくなっていたが再発した。)妻は看護師から本人への金銭授受に反対したが、看護師は自分の看護方針があるといい、看護師のポケットマネーで再度お金を渡し、またパチンコで散財、後日、妻が補填するという事態が3回続く。

過去の経験同様、パチンコに行った後、本人の自己嫌悪と不安が強くなり、精神状態と生活能力が悪化する。
さらに約束の訪問時間を数時間過ぎても看護師が来ず連絡もないということが数回続いたのと、契約書や利用マニュアルもいつまでも渡してくれないことから、本人の訪問看護に対する不信感が極大になる。
同時に、よく来るスタッフが働き始めて1ヶ月の作業療法士で、治療方針を聞いていないことが発覚し、最後には本人の「妻とともに平穏な生活を送り、WEB業スキルで働く」という願いと、訪問看護師(運営者)が目指している目標(ひとり暮らしで作業所に通う)が違うことが決定的となり、訪問看護をやめる。

■主治医交代(2018年1月~)

退院後、主治医であるS先生の退職により、主治医が変わる。後任のI先生になってからは、5分未満の診察で睡眠状態と気分の抑揚を確認するだけの診察になる。カウンセリングは入院時より継続。
初めての訪問看護失敗体験から抵抗感が強く生じ、本人が別の訪問看護を受けることを拒絶したため、同居でWEB勉強をする生活を再開する。
本人自身の治療意欲や行動に主体性が現れはじめ、その一環として外来診察はひとりで受けていたが、このときI先生に勇気を出して解離の症状で苦しんでいることを伝えたところ、発達障害も解離もよく知らない、と言われた(とのことである)。その後の診察も踏み込んだ意見の問答が出来ず、医師の対応に不信感とまではいかずとも信頼感の芽生えない外来受診を続ける。

※この頃には、パチンコに対する関心は皆無になり、解離による交代人格によるものであったと気づく。
2019年4月よりカウンセリングでEMDR治療が始まる。
担当カウンセラー(臨床心理士)は、解離性障害罹患者に対するEMDRは未経験であったが、本人のために複雑性PTSDによる解離性障害に対するEMDR治療勉強会に参加するなど積極的に取り込んでくれる姿勢があり、本人は信頼し、EMDR治療後の効果も実感できていたたようである。カウンセラーの推察では、本人のPTSDは単純なものではなく、断続的に繰り返された恐怖体験による複雑な状態ととらえていることを告げられる。

■5回目の逮捕 2019年5月中旬

2019年2月頃より不安や苛立ちが生じず、安定した暮らしと規則的な生活習慣を維持していた。
※本人はWEB作業に楽しさややりがいを感じるようになり、技能レベルも大きく向上した。
ある朝突然、精神状態が悪くなり、起床時から不安定になる。すぐ異変に気づき妻から注意を促した。その後、本人はいつものようにWEB作業を行うが、思考レベルがいつもより大きく低下しており、なにを行ってもうまくいかなかった。
昼頃、再度忠告し休息を促したときにはすでに人格が変わっており、会話が成り立たず、原因不明な怒りと被害妄想に支配され、妻に暴力を振るう。(馬乗りになり、いわゆる「折檻」のように頬を交互に打ちつけながら、時折首を絞めた。)怒りのエネルギーが大きく、命に危険を感じため、妻が大家さんの家に逃げ込む。 その隙に本人が妻の財布をもって失踪し、大家さんが警察に連絡を入れ、警察沙汰となる。
今までにも同様の事件があり警察のお世話になることがあったが、「今回は財布も持っていっているため見逃すことはできない。」との警察の見解で、21時半頃本人が逮捕される。
このとき本人は、パチンコ店に行ったのちネットカフェに入っていた。
逮捕の数日後、はじめて面会に行ったときには記憶は曖昧になっていた。
この事件は、妻の示談書と国選弁護士の協力によって不起訴になる。

■釈放後~2019年7月

妻は、言い合いなど起因となり得る出来事や経緯に全く心当たりがなかったことから、悪夢やフラッシュバックによる解離を疑い、本人の拘留期間中、解離やPTSDについての情報を集めた。その結果、内在性解離の状態ではないかと疑いをもつ。

釈放後、W病院に一連の出来事を報告するが、会議などを開いてもらうことはできず、治療内容も変わらなかった。
2人で、今まで本人が避けていた解離症状やその他現状把握のために、よく話し合った。
本人が解離の書籍を読み、自分には常に離人感があることを自覚する。同時に発作時には、「言葉の通じない怒りや憎しみの塊のような人格の塊のような状態になる」ことを妻に告げる。妻は狂暴な人格は自分に対してのみ出現するのではないかと考える。
他にも気分が滅入ったり集中力切れたりしてくると、「頭が悪く、衝動のままに好きなことをしたがる、または何もしたくなくなる幼稚な人格の塊もあるような気がする」という。
このとき本人は、前者の危険な人格が出てしまったときには、「いつもの自分ではなくなり、きっと人間すべてが敵のように感じているはずだ。自分ではコントロールできない。だから周りは逃げるしかない。」といい、その状態を話し合いの便宜上、本人自身「タイラント」と名付ける。それからは、2人で「タイラント」を出さないよう、睡眠やストレスに細心の注意を払った生活を送る。

■再び人格交代 2019年8月

2019年8月中旬、フラッシュバックしたのか突然人格交代がはじまったため、すぐに妻が家を出て避難し、W病院に入院や受診をお願いするが、昼間にも関わらずW病院に受診拒否される。本人自身の人格がコロコロと転換した。
コミュニケーションがとれるいつもの状態(人格?)が現れたときに、妻から本人に状況を説明し、本人からもW病院に受診・入院を依頼するが拒否された。
解離を理解して治療計画を立ててくれる医師と精神療法の必要性を感じ、転院を検討する。人格交代に対する対処法がみつからないことから本人の不安が大きくなり、「眠るのが怖い」(起きたら別人格になっているかもしれないから)と、睡眠に不安を感じるようになり、不眠状態に陥る。(主に入眠困難と中途覚醒)
2019年8月19日、再び錯乱状態になり、深夜K病院に緊急入院する。

【K病院(主治医:H先生) 通院時期:2019年8月19日~】

緊急入院したのをきっかけにW病院からK病院に転院する。

主治医のH先生は、解離やASD・ADHDについて理解の深く、病状や治療方針もしっかりと説明してくれ、逆に本人からの話もよく聞いてくれることから、本人はこれまでで最も信頼のおける先生だと感じる。
H先生は、投薬については極力少なく効果を得られるものを…という方針の先生で、コンサータを処方され服用を始める。
コンサータの効果か、あるいは先生への絶大な信頼感か、これまでにないほど本人の精神が安定し、集中力の増加がみられる。
また、本人の仕事や生活改善への意欲が驚異的に成長し、入院期間は薬の調整と人生設計をする良い期間となる。
9月18日退院。

タイトルとURLをコピーしました