メンタルがけっこう崩れた&車が壊れた

2日ほどブログ記事を書くことができなかったけど、メンタルがけっこうぶれた。

まず、2日前は少し仕事で忙しくなった。
というのも、仕事をおざなりにして、メンタルケアに重点を置いてきたからだ。
仕事をするのは達成感も得られるし、忙しいとメンタルがぶれる暇がないので忙しいことは良いことだと思う。

だけど、次の日が良くなかった。
仕事で生活リズムが崩れ、起きる時間や睡眠時間がおかしくなり、その結果メンタルが爆発した。
爆発したと言っても、暴力的な行動をしなかったのは改善点かなと思う。
だけど、別れ話を切り出したのは変わってないなぁとしみじみ思う。

何か嫌なことがあると思い詰める傾向があり、その思い詰めたことは当然口に出すことはできない。
結果として別れ話を切り出すという負のサイクルが以前と変わらず続いている。

このサイクルを断ち切るにはどうすればいいか?
考えてみたけど、これといった解決策は思いつかなかった。
多分、深く考えすぎてしまい、悪い方向に考えが傾き、知らず知らずのうちに被害者意識が高まり、思い詰めてしまうんだと思う。

だから、「まあいっか」とか「なんとかなるやろ」とかそんな感じの気持ちを持つように努力してる。
まあいっかと割り切れたときに、気持ちはかなり楽になる。そのことに気が付いたのがつい最近なので、それまでは小さなことにひっかかり、気持ちが小さくなっていたんだと思う。
だから、これからは辛いことがあったとき、悲しくなったとき、メンタルが崩れそうなときほど、「まあいっか」と思うようにしよう。
そんなことを自分の中で決めた。

それから「メンタルがけっこうぶれるはずなのに、全然ぶれなかった」という体験があった。
昨日の夜、ゲオにDVDを借りに行ったら、帰りに車のエンジンがかからずロードサービスを呼ぶことになった。
この時点で以前の自分ならけっこうメンタルが崩れるはずなのに、全然崩れなかった。

で、ロードサービスが来てからは、バッテリーが上がっただけはなく、重度の故障をしていることが判明。
徒歩でゲオから自宅まで帰る。
車は現在預かってもらっている。
奥さんと話し合った結果、車は中古車を買って、故障した車は廃車にするのが濃厚となった。(まだ決まってない)

現在車がない生活をしているので、何かと不安が大きく、買い物に行くのも大変だなぁとは思っているが、そこまでメンタルが崩れてない。
というかメンタルに全く影響がないと言っても過言ではないと思う。

生活の中で車は買い物に行く程度しか使ってないので、趣味をドライブにしなくて本当に良かったと思う。
もし、趣味がドライブだったら今以上にメンタルが崩れているだろう。

何かに重点を置くと、それがなくなったときにメンタルが確実に崩れる。もしくは崩れやすくなる。
だから、自分みたいな人間は何か1つに重点を置く生き方はしないほうがいいのかもしれない。

これがないと生きていけない!的なものを作ってしまうと、それがなくなったとき、本当に大変なことになるからだ。
反面、それくらい没頭できる何かがないっていうのは、少し寂しいことかもしれない。
自分にはこれといった趣味はないが、カラオケとか音楽、映画が好きだ。
カラオケで今みたいに歌えなくなったら、少し寂しいと感じる。
映画を見る目がなくなったら、映画を聴く聴力がなくなったら、絶対に寂しいと思う。

だけど、今まで楽しませてもらったことは絶対に無駄ではない。
今楽しめてるものを放棄するんじゃなくて、なくなったとしても新しい楽しみを発見できるようにがんばろう。
何か1つに熱中するのもいいけど、「楽しさ」や「面白さ」を感じるのに、これじゃないとだめ!って決まりはないはず。
もしその枠があるんだとしたら、自分の心が勝手に作った枠だと自分は思う。

世界を広くするのも狭くするのも自分の心だから。
楽しさも辛さも悲しさも自分の心が作っているから、もう少し自分で楽しめるように世界を変えていこう。
自分の心は自分で変えることができる。今までもそうしてきた。
世界構造を変えることはできないけど、世界の見え方や感じ方は自分で変えられる。

ポジティブな気持ちってのは、本当に大切だと思うよ。
ポジティブな気持ちを常に持てたら、それは世界でもトップクラスに人生を楽しめてると思う。
お金<ポジティブな気持ち。 お金で買えるものが多い世の中だけど、ポジティブな気持ちが売っているのは見たことない。
ポジティブな気持ちは自分で作るしかないから、毎日メンタルの調子に気を付けていこう。

でも、気にしすぎず、おごることなく、焦らず、地道に一歩ずつ、自分と向き合っていこう。

タイトルとURLをコピーしました