解離性障害「うしろに誰かいる」を読んでます

闘病記録

今日は朝から仕事をして、今の生活スタイルになってから初めて少し良かったと思える仕事内容だった。
多少落ち込んだり、イライラした状態にはなったけど何とか1日作業をすることができて本当に良かった。

まず、昨日の夜からの話。
昨日の夜はなんだか寝付けなかった。
頭の中で奥さんから教えてもらった魔法の言葉「オン・ソラソバティ・エイ・ソワカ」をずっと唱えてた。
これは弁天さんの真言で、願いを叶えたまえ的な意味があるらしい。
奥さんからは「何か困ったことがあったら心の中で唱えるといいよ」と教えてもらった。

早速眠れそうになかったので、安心して眠らせてほしいと思ったことから、0時ごろに布団に入って、気が付けば3時ごろまでひたすら唱えてた。
何も考えずに唱えていたから、時間の感覚がなかったけど、もしかしたら半分寝てたのかも。
でも、心の中で真言に問わず何かの言葉を唱えると、とても言いにくい。

口に出して言葉として発するよりも段違いに言いにくい。
だから何十回も言い間違いしてて、なんだかうまく言えないなぁと思いながら唱えていた。
で、それからトイレに行って、寝付けないと思いながらタバコを吸い、そのことに気が付いて目を覚ました奥さんに上記のことを話した。

普通の人は何時間も何も考えないでそんなに唱えていられないから!
と言われて、自分は普通の人とはやはり違うのか。
と思い、少しへこみながらまた布団に入った。

もっと早い段階で奥さんは声をかけてほしかったそうだけれど、今日は仕事が忙しいと聞いていたので、奥さんまでも寝不足にさせるのは申し訳ないと思ったことから、「眠れない」と言えなかった。

で、奥さんからは「ある程度呪文を唱えたら、頭の中を無になる努力をしたらいいよ」と言われた。
自分としては、それは先に言ってくれと思った。

で、布団に再度入ってからは、頭の中を空っぽに、無になることを努力しながら横になっていたら、いつの間にか眠れていたという感じ。
途中時間が気になって何度か時間の確認をしたけど、多分寝たのは4時ごろだと思われる。

それからいつも通りに7時50分に起床。
だけど当たり前のように寝不足感があり、いつもよりは行動が遅くなっていた。
でも、ちゃんとスケジュール通りに9時からは始業できたので良かったと思う。
寝不足時はメンタルがぶれやすいから、その点だけは本当に気を付けて一日過ごそうと思っていた。

で、実際に仕事が開始すると、コミュニケーションをうまく取るのが課題だったのでそれに注力した。
自分が今日やった仕事は画像加工とロゴ作成、それとクライアントのパソコン教室的な内容だった。

どの作業をしていても、コミュニケーションをうまくとらないと円滑に作業はできないので、ある意味一日中気を張っていた感じがする。
途中、自分の言っていることが奥さんにうまく伝わらず、何度かイライラする場面もあったけど、きちんと対応してくれた奥さんに感謝しているし、腐らず乗りきれたのは本当に嬉しい。

自分が伝えたいことをそのまま言葉にすると、大抵の場合で伝わらない。
だから今日は少し考えてから話すように努めた。
その結果がそこそこ良かったので、明日もこの調子でやってみようと思う。

本来であれば明日は仕事が休みだけれども、仕事が詰まっている&メンタルに時間を割いている分、作業時間がかなり短くなった。
その結果、休日も仕事をしなくてはいけない環境になった。
だけど、毎週こんな感じではないと思うし、これから自分の状態はどんどん良くなっていくと思うので、明日は「本当は今日休みだったのに…」と腐らずにがんばろうと思う。

基本的にメンタルのケアがもっとも大切ではあるけれど、仕事をしないと生活していけないのも事実なので、仕事とメンタルのケアの両立をどうするのがいいのかを模索しないといけない。
仕事ばかりやっていてもメンタルの調子が崩れるし、メンタルのケアばかりやっていても生活は成り立たない。
どちらが欠けても生活はできないので、バランスの良い時間の割り振りがわかっていけばいいなと思う。

ここ最近は、メンタルケアの時間に読書して過ごしている。
読書と言っても漫画や小説ではなく、今読んでいる本は「解離性障害「うしろに誰かいる」の精神病理」
タイトルだけ聞いてもうんざりするようなタイトルだと思うし、とても重たい内容なので読んでいてとても疲れる。

でも読めば読むほど自分は解離性障害を持ってるんだなぁとしみじみ実感させられる。
特に驚いたのが、過去の記憶を思い出そうとするとその記憶の中にほとんどの場合で自分が登場すること。

自分の持っている感覚が普通だと思う傾向があるけれど、実際に考えてみると確かに謎だなと思った。
普通、記憶というのは自分で見たり、感じたことが残っている。
だから、視覚から入った景色などが現実に近い形で呼び起こされる。

自分の目で見た景色の中に、当然自分入ることはないので、記憶の中に自分の姿があるのは不自然らしい。
自分の場合、過去の出来事を思い出すと、ほとんどの場合で自分の後ろ姿が出てくる。
家の中(現在の自宅)のことを思い出そうとすると、後方のやや上らへん(頭頂部が少し見えるくらいの高さ)を思い出すことがほとんど。

これが今まで普通と思っていた感覚なので、いったい何が普通で普通じゃないのかわからなくなってくる。
これは解離性障害の中の離人症や離隔と呼ばれる症状らしい。
「存在する私」と「眼差しとしての私」
いつも「存在する私」を「眼差しとしての私」が見ている感覚なので、多分思い出してる記憶は「眼差しとしての私」が見ている景色なんだと思う。

で、こっからは推測の話。
「眼差しとしての私」の記憶が強く残ってることを考えると、それはタイラントだったりアホの子など、今の自分じゃない自分も常に自分を見ているってことなんだと思う。
行動することなく、ずっと見てるから記憶が強く残ってるんじゃないかなと思う。
監視と言ってもいいかもしれない。

いつ「今の自分」から意識を奪えるのか、常に伺ってるのかもしれない。
そう思うと、マジでサスペンス感が半端ないなぁって思う。
ちょっとした漫画にありそうな設定で怖い。

こういう考え=妄想
ってことも十分あり得るし、そもそもそういうことを考えてしまうから、メンタルが不安定になるんじゃ…って思う。
だから不安になりすぎるのもいけないし、だからと言って軽視するのもいけない。
今できることの最善を尽くせば、そのうちきっと良い結果になるだろうと楽観視するのが一番だと思う。

軽視はせず、不安を煽らず、楽観的に物事を考える。
一言で言えばポジティブな考え方と生き方をするってこと。

ドラゴンボールの孫悟空みたいな人は、きっと何をやっても楽しくいられる。
辛いことも乗り越える楽しさを知っている。

だから自分も今は辛い分、乗り換えたときの喜びを楽しみにして毎日がんばろう。
喜びの貯金とも言える。
喜びを貯金しまくって、幸せを一気に味わえるなんて、ある意味普通の人より幸せかもしれない。

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