日記初日

サポート記録

今日は、だんなさんが釈放後、初めての病院受診だった。
釈放後、2人で話し合い、だんなさんの発作がいったいどのようなしくみで勃発するのか自分たちなりの話し合いで理解できた今、だんなさんが自分ひとりで診察に入り先生と話すというので、私はだんなさんに今後の病院のかかり方についての話し合いの行く末を託すことにした。

今までの「内在性解離」を知らず、病院の指導にある意味任せきりだった闘病生活はもう終える。
2人でそう決めた。

これまで生活に支障をきたす根本の障害への対処に逃げ腰だっただんなさんが、自ら主体性をもって行動するのは、本当に初めてのことだ。

6年間、病院、役所、発達障害支援センター、保健所、その他福祉サービス、警察、生活相談etc.etc.行ける限りのところは行き着くし、訪問看護や作業所、利用できるものは利用してきた。
藁をもすがる想いで必死に走り続け、最善を尽くしても、どうしても生活を大きく破壊するような事件を起こす日がやってくる。そんな日々に終止符を打つために、長い長い紆余曲折を経てきたが、今度こそ本当に克服できるはじめの一歩を進んだと信じたい。

今回はこれまでとは違う。
今まで、どこに行ってもどの先生や医療関係者に相談しても、どこか腑に落ちない指示を受け、理不尽かつ不十分なサポートゆえに、かえって生活が困難になったり、次の事件を引き起こすきっかけになったり…。
良くとれば対応力の限界、悪く言えばどこか無責任なサポートによって振り回されてきた私たち。
それでも諦めずに向き合ってきた結果だろうか。やっとだんなさんの障害の本質が見えてきた気がする。

だんなさんの問題の本質は、どこにも見抜けなかったのではないだろうか。
もしくは、病院も医師もわかっていても見ないふりをしていたのかもしれない。

ADHD、ASD、解離性障害、双極性障害、境界性障害、反社会性障害、虚偽性障害、PTSD…。
さまざまな診断名をつけられ、薬をたくさん投与され、といった日々が続いたが、これからは2人で話し合って、障害と向き合って、本当に良いと思う治療を二人三脚で選択していく。

また失敗する日がくるかもしれない。
また調子が変調し、波風がたつかもしれない。

しかしはっきりと今までと違うのは、生活の一番の障害となっている発作時の対処や、その原因であろう過去との決別にだんなさん自身が目を反らさず前向きになったことだ。
睡眠障害、記憶障害、集中力のバラつき。
日常生活の支障は訴えられても、発作時に起こすパチンコでの散財や、遁走、暴力といったことは、よく覚えていないの一言で、現実を直視する事から逃げていただんなさんが、やっと問題の本質への対処に真剣になってくれたことに確信をもてる。

かくいう私も今まで以上に、だんなさんの障害について、深く深く過去の事象と照らし合わせ考えてみた。

心の傷は本当におそろしいものだ。
そして、今の日本の精神科医療も本当に恐ろしいことに気づいた。
治療のためのはずの薬で余計に精神症状が悪くなることも、精神障害を抱えた生活から抜け出せなくなる可能性があることもあるのだろう。
よく考えてみればみるほどおそろしい。これまでのサポートの中で、この目で見て、体験してきた出来事と照らし合わせると至極当然のことに気づくのに6年もかかった。 おそろしいのは、そんなあまりにリスクが高く、手探りな治療しかない精神医療の現状がごく当たりまえのように存在していることだ。傷の克服方法や人格交代時の対処のことはこれから勉強していくとして…。少なくとも日本の精神医療の現状は、科学的根拠とはほど遠く、本当の心の治療とはほど遠い現状なのだ。

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