今まで僕は自分と向き合っているつもりでいた。
でも、実際のところは臭いところにフタをして、自分のダークサイドから目を背けていた。
無意識レベルでやっていることだから、余計にたちが悪い。
問題を本気で改善したいと思っているのに、大事なところは見えてなかった。
これが事実で、僕は自分の汚いところから逃げていた。
それで生きていける人ならそれでいいけど、僕の場合はそうじゃない。
自分の汚いところ知り、それを治しいかないと人並のコミュニケーションは取れないから
トラブルにならない程度の人間力を身に付けるため、この3日間自分と向き合った。
今回はそんな話。
誰にとっても自分との闘いがまぁまぁ大変なように
僕にとっても大変な戦いで、その戦いは今始まったところだった。
自分の汚い部分を意識する
今こうして自分の汚いところと向き合ってることは、もしかしたら大変危険なことかもしれない。
そんなことを思いながらも『自分ってダメな人間だなぁ』とつくづく思う。
自己肯定と自己否定を繰り返し、自己肯定は自分に対しての言い訳で、自己否定は自分の汚さを知ってる本当の声だと思うになった。
本当のところはわからない。
何が正しくて、何が間違っているのか?
世の中は圧倒的に『普通の人』が多いわけで、(僕には何が普通なのかすらわからないが)
僕にとっては大多数の意見が正しいと世間が言ってるように感じる。
だって本当の意味での正解なんて、誰にだってわからないはずだと僕は思う。
そんなことを考えていた。
でもそれは、多分現実逃避だったんだろう。
『普通の人』たちが世の中を回してくれて、その人たちの意見が正しいのはわかりきっている。
『普通の人』の世界で生きている僕は、『普通の人』が決めたルールに従って生きる必要がある。
それが法律であったり、モラルだったり、社会的な常識だったりする。
そんなルール知らねーよ!と言って好きなように生きるのも自由だろう。
だけど、僕はそうしたくないし、社会に溶け込んで生きていきたいって思ってる。
普通には生きられなくても、普通の人と仲良くなれる生き方をしたいって思う。
だからルールやモラル、社会的な常識が大切なのは当たり前で、僕が無意識に人を傷つけてしまうのは、『大切なものを守る』考え方が欠けていたからかもしれない。
こうやって『かもしれない』を連呼して、正解を決めつけないのも僕の悪い癖だと気づいた。
自分のことなのに断言できないのは、自分に自信がない証拠だってことも気づいた。
要は自分の汚いところからも、自分に責任がかかることからも、答えを出すことからも逃げていただけだった。
『自分のことがわからない』
なんて言うけど、案外自分のことがわかりきっていてそれから逃げたいから
『わからないフリ』
をしているだけなのかもしれない。
さっきも言ったけど、何が正しいのかわからないと同じように、何が真実なのかは本当にわからない。
こうやって自分と向きあうことが正解か間違いかなんて今でもわからない。
無意識でやっていることで、誰かを傷つけたり、自分を偽ったり、何かから逃げたり、そんな奴をどうしたら救えるだろうか?
これを読んでいる人の中に答えを持っている人がいるなら、ぜひ教えてほしい。
今このブログを書いている奴がそんな奴だから。
今取ってる行動が最善だと思う力
『本当のところは誰にもわからない』何度も言って申し訳ないが、もしそれを事実ととらえた場合
将棋で言うところの最善手かどうかも判断できないことになる。
だから僕が思った『正解』は、今取ってる行動を最善と思う力を育てること。
僕にはそういった力がないに等しいから。
過去の出来事を知り尽くした未来人でもない限り、正確な指標なんて持ち合わせていない。
ならいっそのこと、自分が熟慮の末に決めたはことは
『全て最善』
と思えたほうがよっぽど楽なんじゃないだろうか?
もしそれで失敗したとしても、それはいつか成功するための失敗だったと思えばいいのではないだろうか?
今僕がやってることは客観的に見れば色々意見はあると思う。
『危険だからやめたほうがいい』
『すごく良いことだね!頑張ってえらいよ!』
『まぁ自分のことなんだから好きにしたら?』
人には好きなことを言わせておけばいい。
自分の人生を決めるのは、自分と自分の大切な人たちだけだ。
医者やカウンセラーは治療目線で言えば大切な人たちだけど
僕の人生のために仕事以上のことはしてくれない。
僕にとって大切な人とは、仕事以上のことをしてくれて、与えてもらった以上のものを返したいって思える人たちのこと。
だからそれ以外の人の意見は参考にするけど、専門家だろうとそれを鵜呑みにはしないと決めた。
この考えもいつか変わるかもしれない。
特に僕は忘れっぽいし、うっかりが多いし、考えが変わる=自分が変わることで、それを願って目指しているから。
今の考えが変わる日は、いつか普通にやってくる。
そうだったとしても、この考えが『今の僕にとっての最善』と思えるように、自分の意識を高めていこう。
ポジティブな言葉で暗い部分を隠す
僕の癖というか傾向のひとつに、ポジティブな言葉を言って汚い部分を隠す向きがあるって気づいた。
↑でも散々ポジティブな言葉を並べたけれども、実のところ問題の解決からは程遠いことをやってると思う。
実務レベルで【じゃあ今からどうする?】って部分が何も書かれていない。
これが僕の汚いところの一部だろう。
このブログが書き終わってから、どんな思考のもとに行動して改善していくのか、何も書かれていない。
怖いことから逃げる子供のように、現実から逃げているだけだ。
奥さんと二人で生きているから、僕一人の力でどうやって生きていくかは決められない。
聞こえはいいけど、今の僕には逃げ口上にしか聞こえない。
奥さん頼りで自分で何一つ決めない。
それは責任を持たずに、甘い汁だけ吸い、苦しみは全部奥さんに押し付けている行為だと今なら思う。
そんな僕を今も隣で支えてくれる奥さんに『ありがとう』と日々の感謝を送り続けることができるなら、こんなブログを書くこともなかったろう。
奥さんに対して、悪いことをたくさんしてきた。
僕の状態が悪くなると奥さんは手が震え、体調が絶不調になり、気が立って眠れなくなるような恐怖を味わう。
僕は『ありがとう』と『ごめんなさい』を奥さんに送る比率が2:8くらい。
謝ってばかりで感謝できない、最低野郎だと自分のことを思う。
だからせめて、ちゃんと自分と向き合って改善していくよ!
という確実な姿勢を見てもらい、未来に対する希望を感じてもらいたいって思う。
そして実生活でも徐々良くなっていく姿を見てもらいたいって思う。
僕が行動するときのモチベーションを、自分の方向に向けるとろくなことにならないから
人のため、奥さんや友達のためと思って行動したほうが、よっぽど自分のためにもなるだろう。
いきなり劇的な改善は無理だと思うから、少しずつでも良い方向を向ければと思う。
水は器の形に満ちる
人間は水だ。
環境という名の器次第で、どうとでも変化する。
だから僕は自分が良くなるための環境作りが大切だと考える。
きれいな家にならいつもきれいにしようと心がける。
汚い家なら多少汚しても平気だろうと怠ける。
これが環境に対する思考の変化だと思う。
もっとわかりやすく言うなら、新車を買ったとき、多分多くの人はその車を大切に扱うだろう。
でも、10年落ちの古い中古車をタダでもらったとする。
その車を新車と同様に気遣うことはないだろう。
個人差のある話なのはわかってるし、車に対する思い入れなどで変わるのもわかる。
環境ってそういうもんだろう?って話。
問題を並列化しない
はっきり断言するなら、その答えは一生わからない。
受験勉強やスキルを磨く話ではないからだ。
自分どういう問題があって、どうしたら改善できるのか?
これは僕にとっては永遠のテーマであり、その都度変化していくものだろう。
だから不変的な一つの答えで解決できるたぐいの問題ではない。
『実生活で困っている問題』と『根本の問題』は必ずしも一致しないものだ。
だから僕の場合は、両方の問題をひとつの答えで解決しようとは思っていない。
実生活の問題は、僕の根本的な問題が表面化している事象だと僕はとらえている。
海の波は月の引力から影響を受けているのと同様に、『実際の問題』と『問題の原因』は性質が異なる。
異なる性質の問題を同列に並べて解決しようとすると、今までと同じ失敗を繰り返してしまう。
言うなれば、数学の問題を体育で解こうとしているようなものだから。
問題に適した解決方法を見つけ出さないといけない。
だから僕は、実生活で問題となっている【実際の問題】部分を、環境を変えることで解決をはかり
僕の無意識に潜む『問題の原因』は、長い目線で医者やカウンセラー、奥さんや友達を頼り、その時最適だと思える治療方法を実践していく。
こう言ってしまうと、また無責任で人を頼ろうとしてんな!って思う気持ちもあるが
『問題の原因』は無意識にあるので、これを自分ひとりで変えていこうというのがそもそも厳しい話だ。
自分ひとりで問題解決しようすると、周囲に迷惑をかけ、失敗して、凹んで、自暴自棄になって、絶望して、入院して、と負のフローチャートをひとつ進めることになる。
だから頼れるところはしっかり頼り、その分しっかりお返しをする。
感謝の気持ちを受けたら、感謝されるようなことをする。
その繰り返しできっと成長できる気がする。
どんな環境に変えていくべきか?
奥さんと一緒に生きているので、僕一人でどんな環境にするかは明言できない。
ただ、こうしたほうがいいなと言うのはある。
自分<他者
何か意見があるときは↑のような考え方のほうが案外うまくいくことを知ってる。
僕は自分で思っているよりよっぽど我が強いらしく、自分でこう!と思ったことについてはやらないと気が済まない性質を持ってる。
だから、何か思い込む前の段階で、奥さんなり誰かに相談して、助言を受けてから思考する。
こう言ってしまうと本当に無責任な考え方やん!って心のどこかで思ってしまうが、自分の意見や提案をごり押しするよりはよっぽどマシだろう。
要は自分ひとりの世界で生きるのではなく、他者と交わって生きていこうという話である。
だからこれは無責任な話ではなく、共有していく話だ。
自分の意見や考え方に固執せず、人の意見に耳を傾け、話をしっかり聞く。傾聴ってやつだ。
これを実践していくだけで、奥さんはだいぶ楽になるだろうと予測する。
僕は何か作業していると、適当に会話する癖がある。
話しかけられたことに適切に答えているように聞こえるから、なおさら始末が悪い。
感情的だったり、ネガティブな気持ちになってるときは思い詰めて、何かを決めつける節があるし、何かと大変な性質を持ってる。
そうなる前傾聴する。
ちゃんと話を聞くってことは、その人を敬うってことでもある。
『話を聞く』って意味も今までは取り違えていたっぽい。
耳から入った情報を処理するのが苦手だけど、受け答えしているようでしていないことのほうがよっぽど多いらしい。
言葉を額面通りに受け取るのではなく、その人が言わんとしていることはなんだろな?って考えながら聴こう。
『話を聞く』から『話を聴く』にクラスチェンジする時が来たようだ。
今も奥さんと話をして、さっそく実践できなかったなぁと反省した。
いつも通り奥さんの話を聞いて、受け答えしてしまった。
今の失敗が良い例で、変えるってことは今までと同じじゃダメってことで
しばらく意識し続けないと変わることはないだろう。
それが訓練であり、修行であり、勉強だ。
最初は難しくても慣れれば考えなくてもやれるようになる。
それが成長だ。
僕は今から意識的に気を張ってみる。
最初は疲れるだろうし、大変でやめたくなる日も来るかもしれない。
だけど辛いのは最初だけだ。
奥さんの前でアホになりすぎだった
僕は奥さんと四六時中一緒にいる。
奥さんと一緒にいるのが当たり前で、他人って感じがしなくて、空気みたいにあって当たり前の存在になっている。
良くも悪くも僕はリラックスしすぎてたなと、今思う。
大抵の人には色んなモードが搭載されていると聞く。
僕もかつてはとび職をやっていたので、仕事モードと普通モード、リラックスモードと外モードの4つは搭載していた。
が、今となってはリラックスモードと外モードしかない気がする。
これが悪かった。
今まで使い分けてきたモードがなくなったことにより、気を張るのは奥さん以外の誰かと会うときだけ。
外モードのときはとてもわかりやすく、少し汚い話になるがおならや大がでなくなる。
さらに言うと眠たくなくなるし、お腹はあまり減らなくなる。
リラックスモードのときは上で挙げた項目が正常に動作する。
過剰に動作しすぎな部分もあるが、本当にリラックスしているんだろう。
犬で言うと常にお腹を見せた状態。
常にそんな状態の犬は、きっと狩りもできないし、番犬もできないだろう。
さらにに言うと『牙を抜かれた狼』や『翼をもがれた鳥』状態だ。
だから僕は仕事に対する責任感が薄く、責任転嫁したりするんだと思う。
奥さんから言われた仕事は、それを求められる納期とスペックで仕上げるのが僕の責任だった。
それを僕はわかってるようで欠片もわかっていなかった。
責任感を持って生活をするのも、僕の成長に大きな意味をもたらしてくれるだろう。
今までは奥さんを頼り過ぎていた。
最悪奥さんが何とかしてくれるだろう…というのがいつも心のどこかにあった。
それはもうやめだ。
僕がやらないと誰がやるねん!
って気持ちで仕事はがんばろう。
そのとき気を付けるのは、自分の意見に固執せず、奥さんの意見をしっかり聴くこと。
それができなければ、協調性がなくて社会人として失格だ。
『僕はこう思うけど、奥さんはどう思う?』
ってやり方を心がけよう。
医者との関わり方を考える
医者の言うことだけを聞いていても、問題は解決しない。
これはこの数年間精神病院と関わり続けて肌で感じた事実だ。
先に言っておくと、日本にある全ての精神科をdisるつもりはない。
僕が言ったことのある精神科なんて、10にも満たないないだろう。
それらの病院は問題の根本を解決しようとはしなかった。
眠れなかったり、イライラするなど実際に起きている問題について、薬で対応するというのが今までの病院のやり方だった。
なんで眠れなかったり、イライラすることが起きていて、そこを治そうという取り組みは基本的にない。
僕が受診した病院では、なぜかカウンセリングを軽視する先生が多く、カウンセリングに対して消極的な意見を持つ先生ばかり。
多分、精神科を受診する多くの人は、精神療法を必要としていると思う。
いや間違った。
精神科を受診して、心底自分の症状を治したいって思う人の多くは精神療法を必要としていると思う。
僕もそのひとりだ。
精神科で処方される薬を飲んでいれば、確かに眠れるだろうし、イライラしなくなるかもしれない。
でも、それは薬なしでは生きていけない身体になる最初のステップだ。
最初は確かに眠れなかったかもしれないが、薬に頼るようになるとさらに寝付きが悪くなる。
これは僕自身が体感している事実だ。
安易にデパスなどの睡眠導入剤を飲んでしまうと、完全に依存してしまう。
デパスがないと眠れない…と思い込んでしまうのも危険な思考だろう。
デパスに限らず、精神科で処方される薬の多くはそういうったたぐいが多い。
処方された薬がないと、まともに生活を送れないなんてことはないはずなのに。
そう思い込んでしまう。それ自体が病気じみている気がする。
多くの精神科は対症療法しか行ってくれないので、深いトラウマを抱えている人が薬を飲んでるだけで問題解決するわけがない。
多分、僕でもそう思うんだから頭の良い医者なら絶対はっきりわかっていると思う。
それなのに薬を大量に処方して、根本の問題解決には着手しない。
精神科ってそういう金儲けするための施設に感じてならない。
本気で治そうと思ったら、本気で自分のメンタルの問題を改善しようと思うなら、カウンセラーの力は必要不可欠だと僕は思う。
なぜなら精神療法が根本の問題解決への糸口になるからだ。
表面上問題がないとしても、心の底に闇を抱えたままだと、いつかまた闇に引きずりこまれる。
本気で治そうと思うなら、根本から目を背けてはならない。
歯の治療に似ていると思うけど、虫歯は根っこから治療しないと、また再発して耐えがたい苦痛を与える。
痛みだけではなく、口臭がニオウようになり、周囲に迷惑をかけ、本人が知らない間に周囲へマイナスイメージを与える。
メンタルも歯痛も根っこの治療をしない限り必ず再発する。
痛み止めを飲んで痛みがなくなったとしても、虫歯は絶対に治らないし、どんどん悪化していく。
それをみんなわかっているから、早い段階で歯医者に行き、日頃から虫歯にならないようにしっかり歯磨きする。
歯医者で治療してもらったあとに、痛み止めをもらうことがある。
それは処置した際の麻酔が切れたあと、痛みが来るかもしれないからだ。
根本治療を行い、それに伴う痛みは対症療法で対処する。
それが歯医者さんのやり方でロジック的に正しいと思える。
一方大抵の精神科の場合、対症療法は行い、根本治療はしないという謎の方針だ。
歯医者さんになぞらえるなら、痛み止めだけ処方され、処置はしないことになる。
そんな歯医者はありえないと普通の人なら思うだろう。
でも多くの精神科がやってるのはそれだ。
だからこの章の冒頭部分で言ったとおり、医者の言うことだけ聞いていても良くなることは絶対にないので、
要求スペックを満たしたカウンセラーを探し、信頼関係を築き、定期的にカウンセリングを受けて根本治療を目指す。
それが僕の方針だ。奥さんもきっと同意してくれるだろう。
悩みは尽きないし問題は何も解決してない
ここ数日、頭を悩ませ、心を痛め、自己否定と自己肯定を繰り返し、生活リズムは乱れに乱れ、メンタルの調子は良いとは言えない。
だが、大きな問題は起こさなかった。それは自分を褒めれる出来事?だ。
いつものパターンだと、自分を追い詰めすぎると結局問題行動を起こし、奥さんに心労をかけてしまう。
今回も小さいなそれはあったが、大きな問題にはならなかった。これが本当に嬉しい。
自分の成長を感じられる確かな事実をひとつ積み上げることができたから。
ただ、現状考えただけで何の問題も解決していない。
以前として悩みは尽きないし、問題は変わっていない。
治った、治らないの二択で考えるなら、ビフォーアフターで変化はない。
でも、そもそも二択じゃない。
今回のことは僕的には大成功だと思ってる。
大きな問題は起こらず、小さいかもしれないが成功体験を積むこともできた。
さらに、今後の方針まで考えることができた。
今までなら、こんな風にはならなかった。
必ずと言っていいほど悪い結果が待っていたような気がする。
二極化したりして、選択しをわざわざ狭める必要なんてなかった。
それなのにいつも僕は、2択だったり、3択だったりとあえて選択肢を作って自分と奥さんを苦しめてきた。
選択肢はたくさんある。僕が見えてないことについては自分以外の誰かに聞けばいい。
心の狭さが視野も狭めていた。
今日これだけ考えたから、明日から別人のようになる!
そんな劇的な変化があるんだったら、人生どれだけ楽だろうか…と今なら思える。
宝くじに当たるとか、そんな劇的な妄想をこれまで何回しただろうか。
人生は劇的だけど、劇的な変化はないってことをさすがに学んだ。
毎日の積み重ねが人生を作っていくって知った。
誰かが僕の人生を良くしてくれるはないって知った。
僕の人生を良くするのも悪くするのも全部自分次第だ。
僕はまだ自分の人生を諦めないし、これからも必死にもがいていく。
そしていつか今よりはマシになった自分を褒めながら死んでいきたい。
正直今の自分をなかなか好きになれない。
でも明日は自分のことを少しだけ好きになれるかもしれない。
そんな毎日を送っていけば、いつか絶対愛せる自分になれる。
今は問題は何も解決しなくてもいい。
マス数がたくさんあるフローチャートの1マス進んだだけでも十分。
後ろに戻らなければいつか目指す人生を手に入れられるし、目指す自分になれるから。
毎日がんばって、なりたい自分を強くイメージして、理想の人生を手に入れる。
今日は長くなってしまったけど、これからはもう少しわかりやすくまとめるように気を付けます。
言いたいことがまとまってなくて、かなぐり捨てるように書いてしまったことは反省しています。
さぁともかく今から傾聴する精神を持ってがんばろう!
僕は自分のことを心から応援しています。いつかめげそうになった時の僕もこれを読んで思い出してください。
どんな夢があって、どんな生活をしたくて、どんな生き方をしたかったのかを。
僕はどんなときでも僕の味方でいます。だから今が苦しくてもそれはずっとは続かないから、奥さんの隣が僕の居場所ってことを忘れないで。