昨日奥さんに会話の問題点を聞いて、それに対する解決方法として認知行動療法が良いと思った。
自分で答えめいたものを見つけて、少し嬉しくなって自信を持った部分があると思う。
だけど問題は認知の歪みだけじゃなかった。
奥さんは会話の問題を教えてくれたのであって、全ての問題点を教えてくれたわけじゃない。
そこを勘違いしていた。今日はそんな話
境界性パーソナリティー障害があったの忘れた
もし、僕の問題が認知の歪みだけならここまで面倒くさい治療はいらなかったかもしれない。
僕には発達障害、境界性パーソナリティー障害、解離性障害、知的障害があったんだった。(まだなんか忘れてるかも…)
そんなわけで僕の問題は認知の歪みを治せば
はい!解決!
とはならないので、これはいわゆるぬか喜びってやつです。少しへこんでます。
なので、今日は奥さんと一緒に図書館に言って
- よくわかる! 境界性パーソナリティー障害
- ウルトラ図解パーソナリティー障害
- 大人のADHDの認知行動療法
- 境界性パーソナリティー障害は治せる!
といった本を借りてきて、さっそく「よくわかる! 境界性パーソナリティー障害」と「境界性パーソナリティー障害は治せる!」の2冊を読みました。
昨日までは境界性パーソナリティー障害のことをフル無視だったので、今日は境界性パーソナリティー障害について深く知ろうと思い読んだ感じです。
この2冊以外にもパーソナリティー障害関連の本は読んだことがあります。
しかし、今となっては内容をほとんど覚えていません。なので、比較することもできません。
そのうえで今回読んだ本は「めっちゃわかりやすいな!」と感じました。
どちらかと言うと境界性パーソナリティー障害を知らない人向けの内容だと思います。
過去にパーソナリティー障害について調べましたが、自分の中に知識として蓄積していないので、新しい発見と前向きになれる知識を得たような気がします。
僕にとって知識のほとんどは忘れていくものです。
特にメンタル関連の知識は割りとすぐに消えていきます。
理由は、本の中にフローチャートや過去のトラウマ的な出来事を想起させる内容が描かれているからです。
端的に言って読むのがしんどいんです。
だけど読まないとわからないことがあるから読む→しんどい→休む→読むの繰り返しなので、メンタル関連の本を読むこと自体が嫌な出来事になっています。
ここ数日の話だけど、メンタルについて積極的に調べたいって気持ちが出てきて、今がんばってる感じです。
だからしんどくても自分のため!と思って心をすり減らしながら頑張ってます。
問題は山積みだけど無限じゃない
僕の問題ははっきり言って山積みです。
あれもこれもそれも、と至るところに問題が見え隠れしています。
だけど無限に問題があるわけじゃない。
少しずつで良いから、毎日一歩でも良いから前進していけばいつか必ず解決すると信じてます。
だから今日も辛くても本を読み、備忘録としてブログを書く。
これが今は頑張ってやってますが、近い将来自然とできるようにルーティン化する目標があります。
わかったことはアウトプットし、忘れない努力をする。
普段からメモを取る習慣を身に付け、忘れものがないように気を付ける。
今までは言葉だけで終わることが多かったんですけど、これからは有言実行していき、自分に自信を付けていこうと思います。
多分、有言実行を繰り返していたら、自然と自分に自信がつくような気がします。
言ったことをできなかったり、やらなかったりすると自分のことが嫌いになります。
自分に自信を持つことは自分のことを好きになるってことに気が付きました。
そう考えると僕は自分のことがどんだけ嫌いなんだよ!って思いますけどね。
現状はまぁまぁ自分に自信がないので、だいぶ嫌いなんでしょうね。
生活に支障が出なければ障害じゃない
障害と個性の間には決定的な違いがある。
それは生活に支障が出るか出ないかだ。
生活に支障が出なければ個性だし、生活に支障が出れば障害だ。
細かな定義はあるかもしれないけど、僕はそう思っている。
多分、僕は一生変わった人と思われて生きていくんだと思う。
今は生活に支障が出ているから障害だけど
いつかは
「変わってるけど無害な人」
になれるように頑張っていこうと思います。
今日の気づき
- 問題は認知の歪みだけじゃない
- 自分が何障害を持っているのか忘れてた
- 認知行動療法が全てじゃない
- 境界性パーソナリティー障害について詳しくなって
症状を持ってる自覚を持てた - 頑張り続ければいつかは回復する
- 目指すは変わっているけど無害な人
こうして羅列してみると、大した気づきがないことに気付く。
もっと濃い一日を送れるようにがんばろう。