入院生活において、ひまな時間が多すぎて将棋ばかりやっていて、気が付いたら頭の中は将棋だらけになってしまった。
これは俺の悪いくせで、何かひとつのことに没頭してしまい、他のことが何もできなくなるというやつだ。
将棋は楽しいし、一生できる趣味だと思うので続けることは良いことだと思うが、やりすぎてしまい他のことができなくなると、話は変わってくる。
日常生活をまともに送れないほどはまってしまうという点において、パチンコ依存症やゲーム依存症と変わらないと思うし、奥さんにもそう言われた。
これからは趣味の範囲を超えない程度に将棋をやろうと思う。
オンラインゲームやマージャンとは違い、健全な趣味だとは思う。
でも、やりすぎは良くない。
それを良く認識しておこう。
今回の入院で初の外泊
今日は今回入院してから初めての外泊になる。
初めての外泊ということで、昨日から楽しみにしていた。
退院日はまだ決まってないが、入院生活に大きなストレスが掛からなくなっているので、このまま継続入院して状態が良くなるなら、もう少し入院しても良いかなって思ってる。
今回の外泊がうまくいけば、退院後の生活にも希望が持てるし、入院期間中にまた外泊できるから、将棋にばかり熱意を注ぐんじゃなくて仕事やメンタルのことにも同じくらい熱量を注ごう。
今のところ将棋をやりすぎて怒られて、てのが2回続いているので将棋をやる前に、まずは何かやることがないか確認し、次にやるべきじゃないけどやったほうが良いことを探し、それでもなかったら奥さんに聞き、それでもなかったら将棋をやろう。
趣味の時間はあくまでも余暇なので、余暇を取りすぎてはいけない。
でもあまり頑張りすぎも良くないと先生に言われているので、ほどほどに、でも気を抜かず、何でも一生懸命に取り組もう。
とりあえずはそろそろご飯の支度をしようと思う。
今日は久しぶりのお好み焼きなのでとても楽しみだ。
キャベツを切り、タネを作るのは俺。焼くのは2人で。
いつもそんな感じ。
「いつもそんな感じ」を外泊期間中に体験できるのは、とても良いことだと思うし、「いつもそんな感じ」を平和に過ごせたら、きっと毎日平和だろう。
眠る前にまた将棋のことでもめた
ご飯を食べたあと、余暇の時間かどうか確認したあとに将棋をやってもいいか聞いて、OKの返事をもらったのでハム将棋を始めた。
開始10分も経たないころに奥さんにアナログで過ごすって約束したやんって言われて、俺はまたスイッチが入りそうになった。
将棋をやってもいいか確認して、OKが出てからスタートしているのにそれはないやろ、って思った。
でも奥さんが言うには、将棋をやる=ネットで対戦することではないとのこと。
確かにそうかもしれないが、ここには将棋盤もないし、対戦相手もいないので将棋やる=パソコンで将棋をすることだと思った。
でもこれが認知の歪みらしい。
それから1時間以上話し合いをして、途中将棋は二度としないと言ったり、自暴自棄になったりもしたが、最終的に何とか気持ちを盛り返して騒ぎは収束した。
何でもいいから熱中するもの、没頭できるもの、ずっとやっていても怒られない行為をしたい。
仕事でも、将棋でもなんでもいい。
だけど今の俺にはそれが許される環境ではない。
入院中だし、病気を治さなきゃいけないし、信頼があるわけじゃないし、ダメなところだらけだから。
まずは信頼を得たり、病気を治すほうが先ってことなのかなぁ。
たくさんのことをいっぺんにこなすことはできないけれど、ひとつのことに没頭していることは人より得意だから、その方向でがんばりたい。
そのことを奥さんに伝えた。
そしたらそんなことは200%わかってるって言った。
だから俺はそのことを信頼して、奥さんの方針に従ってみようと思う。
今は治す。
治してから趣味でも仕事でも頑張る。
ひとつのことに没頭して、人生懸けれるくらいのものに没頭する。
そうすればうまくいくと思う。
ほどほどにやるってことを覚える
他の人のことはわからないけど、俺にはほどほどにやるってことが本当に難しい。
本を読んでれば会話できなくなるし、将棋をしててもそう。
何かをしながら、他のことをするってことができないと言っても過言ではない。
過集中って言うんだと思う。
集中しすぎて周りのことが見えなくなるから、生活に支障が出ないレベルでマルチタスクを鍛えていかないと、これからも厳しい毎日が続くだろうなって想像する。
能力的に伸ばすのが難しい部分かもしれないけど、意識するとしないとでは全然違うと思う。
それでもダメなときは奥さんが1回目はやさしく、2回目は厳しく注意してくれるだろう。
注意してくれるってことは、ガイドラインがあるってことだから、ガイドラインに逆らわずに過ごせば、平和な時間がより長く続く。
最近は自分の根っこの部分が、すごく冷静なんじゃないかなって思うときがある。
過集中しているときがそうだから。
冷静というか、おとなしいというか、過集中しているときがとても楽しいというか。
何とも言えない感覚。
今このブログを書いているときも、とても集中している。
だからこの時に会話やTV、音楽が聞こえてきてもなかなか反応できない。
特に会話は難しいと感じる。
聞いてないのに返事をしてしまうし、上の空って言葉がぴったりはまる。
心ここにあらずとも言えるかも。
早く治療を進めて、自分のこの特性をフルに活かして仕事がしたい。
きっと仕事のスキルはどんどん上達していくだろうなぁ。
なんて想像すると、今からわくわくが止まらない。
世の中には加害者と被害者だけじゃない
対人関係において、被害者と加害者しかいないと思ってたわけじゃない。
だけど、気が付けばいつも奥さんが加害者で自分が被害者と思ってるところがあった。
俺と奥さんの関係は夫婦であって、上記のそれじゃない。
そんなことは頭でわかってるんだけど、話し合いで揉めたりすると、いつも自分が被害者だと思ってしまう。
それを今日読んだ「赤ずきんとオオカミのトラウマ・ケア」という本で知った。
この本はとてもわかりやすくPTSDの治療についてかかれている。
罹患者と支援者がこの本の内容を理解していると、治療もうまく進みやすいだろう。
フラッシュバックは日常的に起きている。
何がトリガーなのかよくわかってない。
だけど、それは過去の傷が原因で起きている症状なので、今は安全なんだって気づくことが重要。
「今辛いのは過去が原因」「今に原因はない」「過去は変えられない」「今は変えられる」
このシンプルなことを気づかさせてもらっただけでも、俺にとっては相当大きな変化だ。
今に原因がないってことは、辛くなる必要もないってこと。
今を楽しく生きていれば、今はいつか過去になるんだから楽しい過去が増えていくってこと。
どんどん楽しい経験をして、どんどん良い体験をして、どんどん過去を上書きしていけば、PTSDの部分なんてほんのわずかな部分になる。
いつまでも辛い過去に縛られている必要はない。
でもまあ勝手フラッシュバックしちゃうのはどうしようもないんだけど、そんなときは風邪ひいたみたいな感覚で、いつもの症状が出たなぁ程度に思っておけばOK。
要はフラッシュバックして嫌な過去が見えちゃったときは、またあいつが勝手に来たよ、程度に思えればOK。
迷惑な隣人と一緒。
嫌な思いをするかもしれない、しんどくなるかもしれない、でもそれを安全な場所から見てるだけだから、実害はない。
平たく言うとお化け屋敷みたいなもん。
めっちゃ脅かしてくるけど、めっちゃびびるかもしれないけど、実害はない。
冷静に見るとフラッシュバックってそんなもんなのかもしれない。
お化け屋敷に嫌々入って、早く脱出したいならとりあえず進むしかない。
その場でうずくまってると、いつまで経っても怖い思いをし続けないといけない。
とりあえず怖くても、ビビっても、歩くのだけは止めたらいけない。
ビビりながらでも出口を目指す。
俺の場合は一緒に歩いてくれる人もいるし心細くない。
出口はこっちだって教えてくれる。
だからとりあえず歩くのだけは止めたらいけない。
将棋を始めてロジカルシンキングが身に付きつつある
将棋は楽しい。
なぜ人類全体が、若しくは日本人全員がやらないのか不思議なくらい面白い。
9×9マスに持てる知能や知識をフル活用して戦う。
どっちが勝っても考えている時間は無駄ではないし、強くなるきっかけになる。
一生できる趣味だ。
頭を使い、指先も使うから脳にもきっと良い影響がある。
将棋とは関係なく、人生においてもロジカルシンキングが身に付く。
特に俺みたいにマルチタスクができない人なら、何かをするには、何かを得るには何かを捨てないといけないってことがわかる。
困る前に手を打っておく。
困りそうな局面が見えたら、その局面に備えておく。
俺の実生活で言えば、忘れやすいからメモを取る、忘れやすいから日記をつける、依存しやすいからほどほどにやるってことを覚える。
などなど、困りごとが多い人ほどロジカルシンキングは役に立つはずだ。
受けるときも攻めるときもタイミングが大事ってこともわかる。
人生においていつも攻めていたら、守りがおろそかになっているってことになる。
攻めながら守れる人はいいけど、そうじゃない人はまず守るってことを覚えたほうがいい。
将棋と一緒で守れないってことは詰みが待っているってだから。
詰まずに行くには守ることを覚えないといけない。
まあ将棋もそんなに強くないし、ロジカルシンキングの定義も知らない俺だけど、ロジックな考え方を持つと便利だよってこと。
次の外泊、または外出こそは今回の失敗を踏まえたうえで、もっと上手に立ち回れるようにがんばろう。
今回の失敗
まず将棋に意識が傾きすぎた。
これは本当にいけないことだと思う。
逆に言えば、将棋に意識が傾きすぎたこと以外は、割りとうまくいったと思う。
話し合いも最終的にすっきり終わったし、大きく揉めることもなかった。
夜もしっかり眠れたし、入院前よりもだいぶ良くなった自信がある。
奥さんに嫌な気持ちをさせたのは悪いことだけど、被害を最小限に抑えれた。
今までよりも調子が回復してきているんだと思う。
薬(コンサータ)が効いてるのかな?
将棋の位置づけを間違った
将棋を楽しめるのはいいが、何でもやりすぎはいけない。
俺にとって将棋の位置づけはあくまでも趣味。
趣味は生活の余暇の部分でやるもの。
生活に支障が出るほど将棋をやっても、楽しいだけで生活ができなくなる。
つまり将棋すらもできなくなる。
要は詰みってこと。
人生の勝ち負けの定義はわからないし、残りの人生がどれだけあるのかわからないけど、詰んだら負けってことは明確だ。
俺の物事への没頭の仕方は健全な趣味でも人生を詰み筋へと導く一手になる。
だからほどほどにやるってことが最善手。
俺のアクセルは今のところONとOFFしかないから、アクセルペダルを付けてやればOK。
付けれるのかどうか知らないけど、例えアクセルペダルが付かなかったとしても、加減してやればOK。
そのさじ加減を覚えているのが現在。
将棋を良い趣味にするためにも、人生を楽しくするためにも、俺はほどほどにやるってことを必死に覚えよう。
それが人生を明るくするために必要なら、何が何でも手に入れる努力をするべきだろう。